Tuesday, November 25, 2008

作文

私は幼稚園にいった時、ピアノを弾き始めました。それはほとんど両親にやらせた事なんですけど。よく考えたら、私は今まで両親にピアノを練習させた理由が分かりません。若い頃の私にとってピアノは私の数少ない遊び時間を減らせた事しか出来ません。音楽が好き事は確かですが、やはりその興味は弾くより聞くことでしょう。
 とりあえず、台湾にいった頃に、私はずっとピアノを続きました。最初から弾いた事は大分練習曲ですが、時間がたつと段々普通の曲を弾けるようになった。でも、曲を弾くだけではなく、ピアノの試験でも取らなければなりませんでした。どうやら学生がどんなレベルでピアノを弾けるのは試験とその結果以外で説明し辛いでした。試験自身はただ二人の教師の前に選ばれた曲を弾くとその教師たちが弾いた曲を聴いたままで弾く事、もちろん、試験中に他の学生や両親は教室に立入り禁止でした。それで、その試験を勉強する為に、色々な事をさせました。まぁ、そのお陰で私は今でも音をよく聞こえるが、その頃の私にとってピアノは迷惑その物でした。その感情は別にいい事でもありませんが、ピアノの試験を取る時に役に立ちました。その試験自身が面倒と考えたお陰で、全然緊張しませんでした。
 アメリカに引っ越した時、私は色々なことをしなければなりませんでした。最も重要なのは英語を習って、話せようになる事でした。そして、アメリカの生活がまだ慣れなかった私はどこでも問題がありました。その山のような問題が時間をかかったから、私は一時ピアノの練習をする余裕もありませんでした。でも、その夢のような時間は長く続けませんでした。英語がある程度話せて、漸く学校がもっと上手く出来た時、また暇な時間が出来ました。母はその暇な時間を楽しむ私を見るとまた私をピアノを練習させた。
 「でも、ここにピアノの先生もない、練習なんか意味がないでしょう」
 「黙って練習すればいい、その点に私は何とかする」
 「頼んでないけど...」とブツブツ言った私。
 「なんか言った?」
 「何でもありません」
 一週間も続けなかった私の暇な時間はその風に消えました。素早く母がピアノの教師を見つけて、またピアノを弾く事を始めました。最初は三十分、そして一時間、間も無く毎日一時間以上も練習しなければなりませんでした。英語はもっと上手く出来たお陰で遊び時間が減らせませんでしたが、やはりピアノはそんなに好きになれません。
 それから一年もたちました、ある日、先生が近いうちの演奏会の事を教えました。どうやらアメリカにもピアノの試験制度がありますが、大分の中国や台湾から来た先生たちはその制度に詳しくないので使いませんでした。でも、試験とレベルがなければ生徒達の親は彼らの子供がどれだけピアノが上手になるの分かり辛いので、試験の替わりに演奏会が行います。その演奏会に、ある教師の全部の生徒が最低一曲を弾かなければなりません、それによって親たちが彼らの子供の腕を実際に聞くのも出来ます。
 最初からその制度を聞くと別にたいした事を思わなかった私はもっと考えると、その演奏会にいる人の数は多い事が気づいました。以前ピアノの試験の時、本当に生徒の演奏を聴く人は教師たちだけ、あくまで三人しかいません。でも、今度は他の生徒と彼たちの親や友達もその場にいます。その時まで私は家族以外の人の前にピアノを弾く事もなくて、家族の人数もその場にいるような人に比べ物もありません。それを気づくと私は凄く緊張になりました。
 それだけではありません、演奏会に弾く曲はピアノの先生を決めることになりました。そして、私の教師は二曲を選ぶ、ちょっと私のレベルの一曲と私のレベル以上の一曲、演奏会の一週間前にどちらが上手に出来た方を使います。でも、先生は事前にその方法を母に説明したから、もし私は簡単の曲の方を弾くになったら母から何かの罰があるが間違いません。すなわち、私の意思は完全に無視になって、何か多分上手く弾かない曲を弾かなければならなりません。そして沢山の人の前にそんな事をする事になりました、生まれて以来最大なピンチでも言うべきでしょ。
 その演奏会自身の二ヶ月前に全ての準備を始まりました。その二ヶ月は凄く大変でした。練習はともかく、その緊張感のせいでまともに勉強できなくなりました。幸い、先生は結局もっと難しいの曲を選びました、そうではなければ母からとんでもない罰を与えられることになる、最悪のおちかもしれません。でも、それ以外楽な事はまったくありませんでした。
ようやく演奏会の日が来ました、その演奏会はFlushingのある教会で行います、道が込んでいたせいで母と一緒にその教会に到着したとき、もう演奏会が始まりました、それと教会に入る時、教会の門が大きな音がしました。それでまた私の緊張感を上がりました。実は私の演奏の予定はずっと後が、それが知らなかった私には死にそうに恥ずかしいでした。先生が来て、そのときの状況と予定を説明しても、私は緊張過ぎて半分しか聞こえませんでした。
ようやく私の番になると、先生が私の名前と弾く曲をみんなに言って、私が席からピアノに行きました、それは私が一番ドキドキする状況でした。自分の足はまるで石になったように動けなくなりませんでした。何とかピアノの前に座りましたが、なんとしても手が動きませんでした。みんなが静かに待っていたのに、私は全然何も出来ませんでした。その状況はしばらく続くようでしたが、教会自身から何の音が出ました。古い教会から、いつもそのようなことが起こるようでした。その音が何とか私を落ち着きました、それで私は弾き始めました。まるで人形のように、自分が何をするのを知らなくて、ただ手がピアノの上に動いて、ペダルを使って、曲を弾きました。それで、しばらくその教会に私の曲以外何の音もしませんでした。弾き終わると、しばらく何の音も出ませんが、急に誰か手を叩き始めました、それが合図のように、その教会全部は人が手を叩きました。その後で、私はまた席に戻る、他の人たちの曲を聴きました。
演奏会後で、先生から聞いたことが、その時の演奏は私が今まで一番よくできた演奏でした。その演奏は私の一番ドキドキする事と同時に私がそれまで一番よくできた演奏、皮肉ですね。そしてそれから、人の前にピアノを弾かなければならない時、その頃の様に動けない様もなくなりました、おまじないが出来ましたから。緊張した時、私はただ自分とこう聞いて:
「情けない、これはその演奏会に比べてずっと簡単じゃない?何をするのお前?」
「そうだな、これはずっとマシだ」
それで、緊張感がなくなって、真面目にピアノを弾く始まる事ができました。

Tuesday, November 18, 2008

今住んでいるところ

私は今寮に住んでいるが、機会があればStaten Islandの家へ戻る、それはあんまり遠くないから別に大変でもない。寮のビルはBroadwayと言う名前がある、ある意味ホテルみたいの所だ。自分のトイレがないけど、他に住んでいた寮もそうだったから気にしていない、それに、今度の部屋は以前より広いの感じもする。この部屋自身は殺風景としか思えない、何しろ、特に何もないから...というより、飾り物がない、寮から引越しするのは大変だから。あるのは自分のパソコンと本だけかもしれない、まぁ、一人暮らしの男の人の部屋だから、汚いと言っても正でしょう、時間があったら掃除してもいいかも。他には特に何もない...あ、暖房がある、自分が何とか調整できるの暖房は珍しいと思う、寮にとってね。

Sunday, November 2, 2008

今学期の目標をふりかえる

いやぁ、休みがあるからすっかりブロぐの事を忘れてしまった。

目標は「今学期の目標、うむ、多分能力試験をよくできる事です。受けて見ようと言っても、やはりなるべく高い点すを取りたいです。」と言ったが、失敗した。能力試験はまだなのにどうやって失敗すると聞きたいでしょ、そりゃもし込む前に既にNYの試験を取りに来る人沢山ので、ネットにあった締め切りの前にそのも仕込むが出来なくなる。災難だな。

他の目標はラノベを片付けることだと思う、まだ片付けないけど、九月に比べて少しマシになった...と言いたいところが、他の小説も見つかったので、読むべきことが段々増えている。このままじゃ卒業する前に全部読むことが出来ないのようだ。それにしても、目標を変えないと思う、それはその目標はちょっといいから。成果がないでもない、ただ読みたいことが増える速度は読む速度より速いから全部を読みきり出来なくなる。だからもう少し頑張ってみたい。最悪の状況でも読む速度が速くなるから、ちょっとチャレンジしてみたい。